千利休の生き様にはなぜかとても惹かれるところがある。憧れている信長に、茶の道を説き、指導する利休に認めてもらいたい一心で、茶の道を志した秀吉であるがいかんせん信長や家康、伊達政宗のように生まれながらの侍の出ではない悲しさで、どうしても超えられない何かがあったのではないだろうか。
秀吉は、光秀を討って天下を治めてからは、自分を見失い始め、人の意見に耳を傾けなくなってしまうのである。小心者で、警戒心が強く、人の意見をよく聞いたからこそ、天下を治められたのに。耳障りの良い家臣の意見しか聞かなくなり、朝鮮出兵においては、両国の罪の無い沢山の兵士を死なせてはならないと、最後まで反対した利休に切腹を命じるのである。家臣も、思ってはいるが誰も進言できないことを、利休は秀吉の事を思い、苦言を呈したのである。
利休は周りの人が、秀吉に謝罪すれば切腹を免れるからと言う言葉にも、「間違ったことは言っていない。」と言ってあえて切腹を選択し正義を貫いた。
正しい茶道の道を後世に伝える為に意思を貫いた利休の「心」に、我々新極真会の目指す精神を見た気がした。
切腹を恐れないで、「道」を貫いた茶道精神は、利休亡き後400年後の今でも平和な日本に、裏千家、表千家、武者小路千家として受け継がれている。