昨日、松山市で第9回になる二宮清純さん主催の『清談クラブ』が開催され、私も出席してまいりました。ゲストには何と、元松山商業高校野球部の『一色俊作監督』がおいでになられました。
私がまだ小学生でした。S44年夏の甲子園大会決勝戦(松山商vs三沢高)において球史に残る激闘を演じ、延長18回まで戦い、再試合までもつれ、見事優勝を果たされました。その後、新田高校に移られて、H2年春の選抜初出場で準優勝を成し遂げられた方です。あの時の感動は、今でもはっきり覚えております。ノーアウト満塁スリーボール。あとボール一球投げれば、さよなら負けと言う絶体絶命のピンチを乗り越えての優勝でした。子供心に松山商業の勝負強さに感動を覚えたものです。「今の高校野球の練習は当時の松山商業の練習と比べていかがですか?」の質問に一色監督は「甘いですね。」と、簡単に一言おっしゃいました。「日本一の苦しい練習をしないと、優勝なんてありえませんよ。」
私も「ニューヨークヤンキースの松井選手が星稜時代、明徳に5連続敬遠で甲子園を二分する騒動になりましたが、一色監督はどう思われますか?監督ならどうされましたか?」と質問させていただきました。因みに私が監督なら、相手が超高校級で、力では負けていても、自分のチームの子供達を何とか勝たせる方法があるならば、敬遠はルール違反ではないのですから、その方法を選択すると思ったからです。一色監督は「綺麗事では勝負は勝てませんよ。」さらりと重い答えが帰ってきました。
監督のお話の最中、当時の松山商業の選手の皆さんはとても礼儀正しく、静かに耳を傾けていたのがとても印象的でした。反対に後ろで新田高校の選手の皆さんが騒がしく、おまけに監督の事を一色さんと『さん』付けで呼んでいたのがとても残念で、これが時代の流れなのかな・・・と淋しさを痛感しました。私は古い考えかもしれませんが、一度でも教えを授けて下さった『師』は、教え子にとって何歳になろうが、何年経とうが、『師』であるべきだと思うのです。一色『監督』と呼ぶべきでした。会に出席していた方々も「同じ事を感じました。」と異口同音に仰っておられました。
私は、この様な精神はスポーツだけでなく、勉強、仕事、スポーツ、様々な事に通ずると思うのです。改めて考えさせられ、いい会に出席できて本当に良かったと思いました。