池袋の総本部での修行時代、青春を共有した大好きな後輩に七戸という素晴らしい男がおりました。身長185㎝、体重110㌔、堂々とした体格で、数々の戦績を残した男です。(組織の分裂騒動に伴い、悲しいことに別々の道を歩む事になってしまいましたが…。)本部の怪物には『脳梗塞』は、思いもかけない無縁の病と思っておりました。
私が大山総裁の命令で高知に出発する前日、本部の仲間が開いてくれた送別会で、朝まで一緒に飲んでくれたのが彼です。そして、私のやっていた早朝のバイトを引き継いでくれたのです。昭和59年4月、26歳の頃だったと思います。「先輩!後は心配しないで高知に行って頑張ってください!」「七戸!じゃ、高知に行って極真王国築く為、頑張ってくるわ!後は頼むぞ!」と言葉を交わし、彼はバイトへ、私は四国高知へとそれぞれに別れた朝、今も鮮やかに思い出されます。
数ヶ月前、本部の砂川に病気の事を尋ねると目に涙を溜めながら、病状を教えてくれました。何年も会っていないけれど「何とか元気づけたい。励ましたい。」とずっと思っておりました。
日曜日、徳島交流大会を終え、翌日知人のお祝い為、沖縄に行く機会に、今度こそ七戸のお見舞いに行こうと決めていました。皆さんの了解を得て、連絡を取り合い、七戸と奥様のベラさんが、私のホテルに来てくれました。(奥様のベラさんも、ベルギーから本部に空手修行に来ていた私の修行仲間です。)
近くの居酒屋で、3人で昔話に花を咲かせました。こうして杯を酌み交わすのは、もう何年になるだろう?本部修行時代、稽古の後、みんなで池袋南口の「養老の滝」で、安い酒を飲むのが私達の日課でした。席に着けば、箸を取ってくれたり、酒を作ろうとしたり、帰る時には靴を揃えてくれたり「沖縄一の道場主」になっても、彼は昔とちっとも変わっていませんでした。礼儀正しい、義理堅い七戸がそこにおりました。心配していた言葉の障害も全く感じられず、安心致しました。とても嬉しく思いました。若き日の元気な七戸が、そこにいてくれたからです。組織は違えども、身体にはくれぐれも気をつけて頑張ってほしいものです。最後に、硬い握手をして別れました。
明日は愛媛本部の指導です。私も七戸に負けないように頑張ります。