平成11年、愛媛出身の私は、故郷に恩返しと言う思いで松山に道場をスタートすることが決まりました。道場として使えそうなテナントを探して、何軒目か入った不動産屋さんに、人懐っこい目をした方が応対に出て来て下さいました。それが大本さんと私の初めての出会いです。
「空手の道場になる物件を探しています」と言うと、「私も昔、芦原先生の道場で緑帯までですが、少し経験があるんですよ」と嬉しそうに話されたのが昨日の事のようです。オープンの時には、「これから頑張らんといかんね」 と独特の松山弁で励ましてくださいました。私が松山に行く日以外は、絶対に外では飲み食いをしない方でした。それから10年、愛媛本部の指導に入るたびに、稽古終了後、必ず迎えに来てくださり、食事を共にしてきました。数年前、大腸癌の手術をしてからも、抗がん剤を打ちながらずっとそれは続いておりました。手術直後は、強い抗がん剤の影響でしょうか、車の運転も危なっかしくて一緒に乗っていてハラハラのし通しでした。しかし最近は抗がん剤の回数も3ヶ月に一度くらいに減り、体調も良くなられておりました、今年は、愛媛の仲間と久しぶりに「全四国大会」観戦に高知まで来られ、打ち上げにも出席してくださり楽しんでくださいました。毎年、道場の行事にも必ず参加くださり、大会の前になれば、自分の事のように協賛集めや、選手の事を心配して下さいました。
14日、明後日も松山の指導に入りますが、午後9時半に、決まってニコニコしながら道場に入って来られる大本さんが、もう2度と来ることがないのかと思うと、なぜか涙が出てきます。残念です!悔しいです!
癌に打ち勝ったのに、まさか心臓麻痺で亡くなるなんて。おとといの朝、9時半頃、「血圧が下がって60~80しか無い」との電話があり、救急車で病院に駆けつけた直後、11時に息を引き取られたそうです。あまりにも突然で、あっけなく何が起こったのか理解できませんでした。
私は、今日午前10時からの告別式に出席する為、朝早く高知を出発しました。式にはすでに岡山の井上、田中会長も駆けつけて下さっておりました。忙しい中、川野も見送りに来てくれておりました。式の後、私と片岡さんは松山市斎場で最後に骨を拾うべく待機しておりますと、猛スピードで車が到着し、中から愛大の坂山先生と愛媛新聞の谷川部長が、忙しい仕事の合い間をぬい『骨を拾いに来ました!』と駆けつけてくれました。友情とはありがたいですね。お骨を一つ一つ丁寧に拾いながら、大本さんの気持ちを察すると、『悲しむのも今日までにしないといけない!』と心に誓いました。とにかく大本さんの分まで頑張って『生前応援して下さった新極真会発展の為、頑張りぬくのみ!』と決意を新たに致しました。天国で、魚の美味しい居酒屋さんを探しておいて欲しいと思います。いつものように酒を一滴も飲まない大本さんはウーロン茶で、私はギンギンに冷えたビールで乾杯といきたいですね!心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌!
追伸 下の写真は平成11年4月2日 愛媛三好道場オープンのお祝いに駆けつけて下さった大本さんと。