71歳、亡くなられるまでマフラーとサングラス、このスタイルを貫かれました。
「オイッ!ミヨシーィ!元気カーッ!」
もうあの独特の太い声が聞けないと思うと淋しいですね。「ミヨシッ!高知はたしか『愛と誠』の撮影時、友人の芦原英幸と一緒に行ったことあるけど、それ以来行ってね~なぁ~。松山と八幡浜は、奴が連れてってくれたからなぁ~!」 「オイッ! 一度招待しろよ!」お会いするたびにそう声をかけて下さいました。
「先生が、作家生活45周年パーティーを赤坂の全日空ホテルで行いますので、是非三好師範も、とおっしゃっておられます!」 「先生が楽しみに待っておられますので、携帯に直接お電話して下さい!」 門下生の方から有難いお誘いのご連絡をくださったり、何故かいつも優しくして頂きました。
私が大好きな岸先輩と真樹先生のやり取りは、吉本の漫才より面白かったです!ニューヨーク生活が長く、英語も山形なまりなので真樹先生がそれを突っ込みます。先生のこの笑顔がもう見られないと思うと淋しいです!(ガラが悪くておっかなくてもなぜか憎めない先生、後輩に優しかったからでしょうね)(先生の門下生の方が贈って下さったこの写真は、私の宝物となりました。有難うございます!)
私がまだ大学生の頃、稽古後食事に連れてって頂き、当時(30年以上前) まだカードで支払うなんて見た事なかったのですが、さっそうとカードで支払いされたのに驚かされたのも懐かしい思い出です。麻布のしゃぶしゃぶをごちそうになった時も、「牛肉は身体に良くないから」と言って、豚しゃぶしか口にしなかった先生が突然亡くなるなんて。
真樹先生と影丸譲也先生のコンビで漫画「ワル」が生まれました
「巨人の星」 「空手バカ一代」 「あしたのジョー」 「タイガーマスク」など、私が子供の頃一番影響を受けた、劇画原作者 故梶原一騎先生の実弟で、作家や映画プロデューサー、空手家と多彩な顔を持って活躍されておりました。2日、新年会の準備の為、ご自身が所有するヨットに乗船しようとした際倒れられたそうです。
現役のころ大変お世話になった、「第1回全世界チャンピオン佐藤勝昭先輩」(ちなみに2011年に第10回大会が開催され、男女とも日本が優勝)の還暦祝い(新宿の京王プラザ)に集まった歴代の大先輩。(中央佐藤先輩の右隣が真樹先生)
サングラスがトレードマークの為、全日本の審判の折、大山総裁の前でも、唯一サングラスをしたまま副審をされたのを覚えております。「71歳にして永遠の不良!」サングラスにマフラーそれにパンチパーマ、もうお会い出来ないと思うと淋しい限りです。私が好きだった芦原師範に続き、また一人豪傑が逝ってしまいました。
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 押忍!
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