今日4月22日は、
平成4年、89歳で特攻隊員のもとへ旅立たれた「特攻の母」、鳥濱トメさんの命日です。
知覧は戦争末期、航空機に250キロ爆弾を抱え敵艦に体当たりする「特攻隊」最前線基地。
昭和20年3月からは毎日のように10代から20代の若者が出撃して行きました。
「親や家族、日本を守るため、私達が行かなければ沖縄から九州も占領されます。」と言い残して。
トメさんは隊員達を我が子のように慈しみ、
資財を投げ打って親身に世話をし見送りました。
さらに飛行場跡に出来た観音堂に毎日通い、手を合わせ、特攻隊員の事を未来ある子供達にも語り伝えてくれました。合掌。
私は自分の空手で、
日本を守るため若い尊い命を犠牲された英霊に感謝の意味を込め、
慰霊祭のお声が掛かれば何処にでも行って来ました。三好流の感謝です。
台湾のバシー海峡。ハワイ真珠湾戦艦ミズーリ号艦上。神風特攻隊敷島隊隊長 関行男中佐の慰霊祭で「鎮魂の演武」を捧げる。
「特攻の母」鳥濱トメさん。(今日4月22日が命日です。)合掌。
軍部の命令で、
笑ってる写真以外は残されていません。
トメさんの証言では
「あの子達は、出撃が近付くと部屋に籠り震えたり、家族や親を想い涙をこらえてる隊員がほとんどでした!」
自粛中ですので、普段出来ないことに沢山時間が取れます。
尊敬する野村監督の資料を研究中。
6人いた捕手の中から、新人の古田をレギュラーに抜擢。
大学卒業時ドラフト指名を見送られる屈辱を味わった古田、捕手として指導されたリードを打撃の読みに生かし、2年目の91年には首位打者。
開幕を控え緊張の高まるオープン戦の3月13日、
突然メンバーから外される。それから4試合まったくマスクをかぶらせてもらえない。
古田が試合でファウルボールを目で追うだけで諦め、捕りに行こうとしなかった。
「たった1球で名前が消えていくピッチャーもいるんや。それを考えたことあるか?」と激怒。
私はこの指導こそが、人間教育野村監督の真骨頂だと思います。
武漢ウィルスをぶっ飛ばせ。
大会やユースJAPAN、オールJAPAN合宿後、新極真の仲間とは、「新極真会の歌」とともに「同期の桜」を必ず歌います!
皆さん、今日も自粛が続きますが、
絶対に諦めないで武漢ウィルスを倒しましょう!
医療現場で国民を救うため、不眠不休で頑張ってくださる医療関係者の皆様に心より感謝申し上げます!
新極真会 三好一男
皇国の興廃この一戦にあり。
中国発の武漢ウィルスを撃墜しましょう!
頑張れ南青山「きばいやんせ」。
頑張れ、我ら九反田町内会「にこみちゃん」。
頑張れ、「東風」。
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